京都産業大学のゼミのため,平成25年司法試験の
採点実感
<民事系第1問(民法についてのもの)>
を読んでいると、全体の補足としてこのような記載がありました。
以下引用――――――――――――――――――――
(4) 全体を通じ補足的に指摘しておくべき事項
各設問についての採点実感は以上のとおりである。
それらとは別に,全ての設問を通じての全般的な採点実感も述べておくこととする。
全般的に見て,多くの答案が,表層的な論述に終始することなく,問われている事項を実質的,本質的に検討し,説得力のある論述をしようと試みており,このことには好感を抱くことができた。もっとも,当然のことながら,そのような答案がある反面において,そうでないものも少なからず見受けられた。
司法試験の出題の中でも,特に論文式試験で出題される事項は,画一的な思考で解決が得られるようなものではなく、あえて解答を見いだすことが困難な課題を与えるなどして受験者の法的思考能力を試そうとしているのであり,採点者は,いわば出題において提示した課題を受験者が共に悩んでくれたであろうか,というような気持ちで一枚一枚を読むものである。
そのような気持ちで読み進む際に,ときに答案の中には,問われている事項の内容でなく,答案の文章表現や表面的な構成のような見栄えにばかり囚われ,あるいは,これまで考えたことのない問題での致命的な失点を恐れて無難な表現に終始し,いつまで読み進んでも本質の内容的事項の論述が見いだされないものも見られる。
答案の表面的な構成の手法には,ときに流行のようなものも見られ,年によって特定の構成が多くの答案において用いられている状況が見られる。
そうした流行の型のようなものに従って論述することが,そのことのみで不利になるということはないが,同時にまた気付いて欲しいことは,そのように見栄えばかりに拘泥し,あるいは無難な表現に終始して,内容的本質に関わる論述を欠く答案は,当然のことながら高い評価は与えられるものではないということである。
他方,その問題の本質的な課題に正面から向き合い,限られた時間の中で思考をめぐらせて自分なりの解答を見いだした答案については,一般に,その内容に多少の難があったとしても,問題の本質に踏み込まない答案よりも高い評価が与えられることになる。
また,昨年試験の採点実感で指摘したような不自然な文章表現が依然として散見され,また,潰れてしまっていて判読ができない字で書かれている答案も見られる。
外見的な印象を良くすることを過剰に気にかけるのではなく,判読可能な字で,平易な表現を用い,そして,何よりも,しっかり内容を備えた答案を作成した受験者を法律家の世界に迎え入れる,という趣旨で司法試験の採点がされている,ということをあらためて想起し,受験者においては,基礎的な知識や基本的な思考力の涵養に努めて欲しい。
引用終了―――――――――――――――――――――
一見すれば、
「答案の文章表現や表面的な構成のような見栄えにばかり囚われ」
るのはよくない、
「その問題の本質的な課題に正面から向き合い,限られた時間の中で思考をめぐらせて自分なりの解答を見いだした答案」
が望ましい、
と書かれているように見えます。
この解釈はおそらく正しいものです。
しかし、こう読むだけでは採点実感を利用し尽くしたとは言えません。
利用し尽くすにはさらに2つのポイントを意識する必要があると思います。
1つ目。
採点委員の先生方は、「表現」がどうでもいいとは書いていないこと。
汚い文字、という点はともかく、項目中に
「昨年試験の採点実感で指摘したような不自然な文章表現が依然として散見され」
という記載があります。
採点委員の先生方はきれいな日本語を(きれいな文字で)読みたいのです。
その本音はこの文章からもわかります。
もちろん、内容が第一です。
しかし、採点委員の先生方が言う「内容を備えた文章」は(共通言語で平易に書かれた)「表現」も備えているという点も忘れてはならない点だと思います。
2つ目。
「表現」を満たしていなければ肝心の「内容」にまで目がいかない可能性があること。
論文採点者の数を見ると、採点委員の先生方は何百通もの答案を見ることが容易に推測されます。
その中で、表現が著しくわかりにくい答案を一通一通きっちりとみることが可能でしょうか?
先生方の能力からすればある程度は可能でしょうが、
「書いているつもり」を表現でフィルタリングしてしまう可能性は0ではないと思います。
少しの工夫で修正できるのであれば,表現に気を付けるにこしたことはないと思います。
以上2点には気を付けるべきだと思います。
出題趣旨・採点実感に焦点を当てた話を書いてみようかなぁ。
蛇足。
「採点者は,いわば出題において提示した課題を受験者が共に悩んでくれたであろうか,というような気持ちで一枚一枚を読むものである。」
あ、はい。
<例によって私はぶんせき本を用いて出題趣旨・採点雑感の確認をしていました>
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